カウボーイ疾走

はじめに

「カウボーイ疾走」は、1993年9月にリリースされた小沢健二さんのファーストアルバム犬は吠えるがキャラバンは進むに収録されている楽曲だ。このアルバムの曲は、次に発売される「LIFE」のポップよりなイメージとは異なり、どこか落ち着ちついた曲調に、現実感が顕著に表現されているのが特徴で、中でもこの「カウボーイ疾走」はその雰囲気を象徴する作品の一つである。また面白いことに、全く同じメロディーだが全く異なる歌詞で書かれた「サタデーナイトフィーバー」という楽曲も存在しており、それぞれに色を出している。

どこか少年らしい描写と色彩豊かな歌詞。また随所にみられる難解な言い回しと移り変わる風景。何より、この楽曲の軸ともいえる「カウボーイ」が小沢さん本人もしくは楽曲の主人公にとっていったい何者であり、何を体現しているのか、が非常に興味深い。フリッパーズギター解散後、初期の小沢健二を読み解く上で抑えておくべき楽曲とも言える。

 (歌詞全体)小沢健二 カウボーイ疾走 歌詞 - 歌ネット

 

カウボーイ疾走↓

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(参考)サタデーナイトフィーバー↓

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本論

Aメロ1

もう紫陽花(じさい)の風景 もう丘を歩く彼女の姿

飛ばされていっちまった

もう間違(ちが)いがないこと もう隙を見せないやりとりには

嫌気がさしちまった

・二番以降が存在しないとも言えないが、Aメロとして考えられるのはこのパートのみ。

・このパートの歌詞の構造が前半と後半に大きく分かれていることは明白だ。私がとらえるに前半には過去が、後半には現在が表されている。
まず前半において表現されているのはシーンであり「飛ばされていっちまった」からは記憶が過ぎ去っていく様子が伝わってくる。一方の後半では対照的に、現状を取り巻く正直でない人間関係に苦悩する姿が表現されている。
・ここでは「カウボーイ」も登場せず、描写を取り上げることも難しいことから、単純に当時の小沢健二さん自身が投影された個所ではないか、とこの時点では考えている。

 

サビ1

カウボーイ『スペードのエース』とか言って

BABY  BABY  BABY  BABY  BABY

草笛(さぶえ)がひどく上手(ま)い奴(やだった

錠剤(じょうざい)を噛みしめ蛇口(じゃぐち)をひねり 高く高く星を見上げていた

 One two three

・ 題名でもある「カウボーイ」がここで初登場。さらにこのパートはカウボーイに関する情報だけでほぼ独占されている

・パート全体の印象としては、大人っぽいクールなメロディーであるが、どこか少年らしさを含んでおり、またどこかぶっきらぼうな言葉遣いも気になるところだ。

 ・カウボーイが不自然に話す「スペードのエース」とは何か言及してみる。するとトランプにおける「スペード1」とは死や切り札、運命など特徴的な意味を含んだカードであるらしい。明確なカードの解釈はできないが、カウボーイ自身がスぺ―ドのエースのような存在であるとも考えられる。また「草笛」というのも西部劇で想像するようなカウボーイっぽい特徴だ。

・最後の一節では、カウボーイが錠剤を噛みしめるというシーンが登場するが、このことからはっきりすることは、このカウボーイは、西部開拓時代の人物ではなく、現代版のカウボーイであるということだ。またカウボーイが何らかの持病を抱えていたのではないか、という可能性も考えられる。

・カウボーイに密着した描写が描かれていることから、カウボーイが語り手に誰かであったことに間違いないだろう。

・演出においては「高く高く星を見上げていた」という表現によって、時間軸がカウボーイから離れていく、つまりカウボーイがいた「あの頃」から時間軸が現在へ滑らかに移行させる効果を出ている。

・カウボーイは楽曲の主人公というわけではなく、あくまで語り手の記憶に残る過去の人物だと捉えるのが妥当だろう。

 

Bメロ1

がならされてゆき が覆(おお)う広告(く)

から撫でる風(ぜ)に らけっまった純情じゅんじょう)を帰(かえ)し

本当(んとう)のことへと動きつづけては 戸惑(まど)うだけの人たちを笑う

・Bメロと断定するには正直決め手に欠けるが、曲調のパターンと歌詞との関連で、ここではこのパートをBメロと考えるのがわかりやすいと判断した。

・このパートは非常に難解な言い回しが使われている。詳細に読むと、一文目は「熱」が散らばっていくイメージに加え、どことなくカウボーイが活躍した西部劇の舞台が表現されているような雰囲気がある。二文目には「誰が純情を帰すのか?」、そして「…戸惑う人たちを笑う、のは誰なのか?」と解釈が難しい箇所が存在する。

・締めでもある三文目では「本当のこと」と核心をつくようなフレーズが唐突に用いられており、この曲の本質を提示しているようにも思える。(後に繰り返されることからも)

 

サビ2

舗道(ほどう)まで散らばって戻(もど)らない砂

BABY  BABY BABY BABY BABY

淋(び)しげにきなられているギター

新(たら)しい1日がた始(じ)まるだろう 明け前の弱(わ)すぎる光

One two three

・サビ1と比較すると構成とメッセージの性格が異なることがわかる。まずサビ1は「カウボーイ」に沿って展開されていたのに対し、サビ2では抽象的なシーンが選択され、かつ1、2文目は対表現であるように思える。
1文目の解釈は難しいが、対となる2文目にから「淋しげ」な雰囲気は想像できる。そして3文目では「新しい1日がまた始まるだろう」という締めくくりが提示され、「夜明け前」から朝の到来を印象的に描いていることがわかる。

 

Bメロ2

日射しが強い真昼 ばたきをすめとり

陽炎(げろう)の中(か)につ えてっまうものを探して

本当のことへと動きつづけては 戸惑うだけの人たちを笑う

・ Bメロ1と関連付けるなら、意味の構成や場の設定、続く「暑さ」が表現されている点が類似している。

・「陽炎」とは空気中に立ち上る揺らめきの現象であり、「日射しが強い」という条件がまさにそれと一致している。
・Bメロ1でも繰り返されていた最後の一文は、つまり楽曲全体のキーワードにあたるものだと考えたい。読み解いていくと、この1文の主語は、おそらく「カーボーイ」であり、小沢さん、もしくはこの曲の主人公は「カーボーイ」が「本当のことへ動く続けている人物」と解釈していることがわかる。

 

サビ3

すれちがう早(や)起きのラソンンナー

BABY  BABY BABY BABY BABY

にぎやかな時代に落ちてくる朝

新しい1日がまた始まるだろう 夜明け前の弱すぎる光

・サビ2と似た構成の特徴を持っていることがわかり、曲全体の締めに移っている様子が印象的だ。
・「早起きのマラソンランナー」や「…朝」など舞台は、真昼から朝に時間軸が映っていることがわかる。

・「にぎやかな時代」という表現はおそらく小沢さんが考える当時の世間であり、朝の始まりを待望する思いを印象的に描いたものだろう。

・最後のパートにもかかわらず「カウボーイ」に触れていないようだ。これはAメロともどこか似ていて、「カウボーイ」の現れを曲の中に閉じ込めた作品になっているように思える。つまり、語り手は「カウボーイ」を通じて自分自身に迫っていたのだと考えた。

おわりに

「カウボーイ疾走」における「疾走」の要素を見つけることは難しかった。どちらかというとカウボーイの「失踪」と語り手の人生の「疾走」が全体として描かれている印象を受けた。また語り手の心情から見えるのは「カウボーイ」への憧れだ。主人公がカウボーイの面影に思いをはせながら前向きに現状を受け入れようとする思いを感じた。

汲み取りきれない箇所やフレーズがいくつか存在していて未だ謎は多いが、一つ言えることは当時の小沢健二がある意味(心情描写が少ない点も踏まえて)自身の素直な気持ちを投影している楽曲だといえるだろう。
今後も「カウボーイ疾走」に関する新たな発見があれば、更新を続けていきたい。